Category Archives: グラメラ
POTATO HEADにて夕陽を拝む
先月の現実逃避2回。 いつもいつもこんなに遊びにいっているわけではありませぬよ。 たまたま今回は行く機会があったのです。 有名なポテトヘッドの外観 最近ではポテトヘッドの外観を真似たカフェを見かけるので、「おお!」とはなりませんでしたが いくつもの格子窓のようなものを縦横無尽にくっつけた外壁です。 これ・・・一体いくつ使っているんだ。 全体を撮れば良かったのですが、最近では見慣れていると言えば見慣れた外壁なので 外壁の写真はこの1枚しかありません。 この格子窓はポテトヘッド全体を囲むように、グルーッと半円形になっています。 海からの風も強いだろうに・・・ ちなみにてっぺんもそのまま格子窓が縦 ......
バリ島にいつかは出会うから、もう少し聞いて・・・
本当の病名が知らされた時の状況なんて、もう忘れた。 両親も一緒だったのかも覚えていない。 瀰漫性過誤腫性肺脈管筋腫症(びまんせいかごしゅせいはいみゃくかんきんしゅしょう) なげーっての! これがあたしの病名だそうだ。ちなみに難病。 現在は指定難病になったけど、当時はそうではなかった。 難病ってN先生に聞いたけど、その時はピンのピの字も来なかった。 よくわかんないから、落ち込む・・・って感じとかあったのかな? でも夜、自分のベッド周りのカーテンを閉めて泣いたような気もするし ドレーンから鳴るプクプクとした川の流れのような音を聞きながら 朝まで眠れなかったような気もする。 看護師もあたしが落ち込ん ......
バリ島に出会うまでの長い道のりは置いといて…
バリ島に出会うまでの長い道のりなんて書いていたら、いつまでたってもバリ島に 辿り着けないので、バリ島に出会う1~2年くらい前からにしようと思いま-す。 #1の続きはまた気分がノッたら書いていく予定。 20代後半の後半くらいだったか・・・ ずーーーーっとフリーターでいたわたしを、ある会社に誘ってくれた友達がいた。 ひっさびさの都内勤務。 なんだか気が休まらない会社だし、緊張するし、いつも空気張りつめてるし けっこうストレス溜めながら働いていたなぁ。 そしたらね、肺が潰れちゃったんですよ。両肺・・・ 当時20代も後半で、特に夢も希望もなく(笑)でも男だけにはだらしがなかったわたし。 自分の体がなん ......
楽園バリ在住日本人数珠つなぎ
バリ島の中では、またはバリ島フリークの間では有名な日本人がいる。 テレビに出ているとか、本を出しているとか、・・・そういった類の人たち。 そういった類の人になりたくてがんばっている人もたくさんいる楽園バリ。 でも、そんな有名な人たちは少なくて、普通に、本当に普通にただただ生活している 日本人もたっくさんいる。わたしはその普通の人たちに興味がある。 なんでバリなのか?何を考えているのか?生計はどうしているのか? 死ぬときはどこなのか?。。。 「日本人数珠つなぎ」まずはわたしの大事な友人からスタートする。 そしてその友人から数珠つなぎにたくさんの日本人に繋がり広がっていく…予定。 もうしばらくお待 ......
バリ島の片隅、初めて国際結婚の事考えてみた
今日は青空が広がるバリ島。 バリ島は乾季と雨季があるのだけど、最近は乾季になっているはずなのに いつまでもダラダラと空は曇り、気分屋のように雨が降る。 ボヤ~っとする時間はたくさんある。 最近、小中学時代の同級生に会う機会があった。 久々に会う面面。何十年も会っていない女たちは近状報告に余念がない。 まずバリ島に住んでいる・・・というと、スルーされるはずがない。 なんでか?セレブか?女たちの想像はたくましい。 パートナーは日本人か?駐在なのか?という質問に パートナーが「バリ島の男だ」というと、同級生はみんな少し安心したような顔をする。 でも安心もつかの間、どこで出会った?どんな家に住んでいる ......
老舗 Ku De Taでブランチとか?
バリ島に住んでいます。・・・と言っても「生活」しているんです。 たまには近くのカフェなどでモーニングを食べてみたり、 あとは近所でナシブンコスを買ったり、 おいしいパン屋さんのパンを食べてみたり。 でも、たまには足を延ばしてオシャレ地区へ観光客気分で行ってみたい! ということで、今回は老舗レストラン KU DE TA ブランチならお値段もお手頃。 子供連れならもっと楽しめる。 食事をすればプールにも入れるし、日曜日は子供向けのイベントがあり ペンホルダーやカワイイ扇子にDIY体験も出来、ある程度の年齢の子供なら放牧も可。 といっても、目は離さないようにしてください。 プールの向こうには ......
バリ島に出会うまでの長い道のり#1
映画学校を卒業し、最初は目的の職場に就職できなかったわたし。 いちばん最初に就職したのは美術製作の子会社。 腰にナグリ(とんかち)をぶら下げ、某テレビ局のスタジオを走り回っていた。 今は知らないけど、当時テレビや映画業界で働く人たちは職人気質の強い人たちばっかりで わたしがいた美術部のおっさんたちも口汚くて、ついでに口も臭かった。 そんなおっさん達とトラックに乗り、都内スタジオや郊外のスタジオを行き来しながら、 やっと慣れてきた頃・・・希望していた就職先の話が舞い込んだ。 可愛がってくれていたパイセンに、めっさ恐縮しながら辞職電話したことを覚えている。 わたしが切望していた職業・・・選曲技師。 ......
興味ないと思いますが、あたしについて…
子供のころからアイドルになりたい♡とか漫画家になりたい♡とか、 特に努力もせずにいつか何者かになれることを信じて生きてきたあたしは、 結局何者にもなれずに嫁としてバリ島にやってきた。 今でも「何かやってやろう!」とノンアイデアのまんま、今を生きている。 そしてノンアイデアのまんまコレを書いている。 中途半端なあたしの人生を話して、人に「お?!」っと思ってもらえることと言ったら、 やっぱり国際結婚のことでしかないと思う。 だからあたしのパートナーの最愛の夫との出会いとか、夫と過ごしてきたこの14年のこと そしてこれからのことを記すことにする! うん、そうしよう。 にほんブログ村 ......